うすうすお気づきかもしれませんが、この映画にはある”本質”が隠されているのです。
※この先大幅なネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
あらすじ

ある一家殺人事件の犯人として死刑判決を受けた青年・鏑木慶一。しかし彼は、自分が無実であると訴え続けてきた。冷酷な死刑囚の烙印を押された彼だったが、ある日、奇跡的に脱獄を果たし、自らの手で真実を追い求める決意をする。
逃亡の途中、鏑木は偶然出会った女性ジャーナリスト・奈々に助けを求める。奈々もまた、この事件に深い興味を抱き、鏑木の訴える無実の可能性を調査し始める。しかし、彼女が掴んだ手がかりは、事件の背後に隠された巨大な陰謀を示唆していた。警察組織内の腐敗、そして権力者たちの思惑——この事件は、単なる一家殺人では終わらない。
一方で、彼を執拗に追う刑事・又貫征吾は、鏑木の行動を追う中で、次第に捜査の矛盾に気づき始める。正義を信じてきた又貫は、鏑木を追う側から、彼を助ける側へと心情が揺れ動いていく。
物語が進むにつれ、鏑木はついに事件当日の真実に辿り着くが、それは誰もが予想し得なかった衝撃の事実だった。そして彼は、大勢の警察部隊に包囲される中、最後の賭けに出る——それは自らの命を懸けた、正義への挑戦だった。
映画内に隠された人間の本質
この映画の本題としては、最後まで世界(社会や人間)を信じたかった主人公と、懸命に生きることで世界には信じてくれる人、自分を思ってくれる人がいるんだという強いメッセージを秘めています。
これは最後のシーンの鏑木(横浜流星)の一言「まだ世界を信じたかった。生きててよかった」からも感じ取れます。
かかわる人間によって環境は変わり、自分を思ってくれる人と出会えることはこの社会でも稀です。
それでも、強く生きることで次第にその人間関係は構築されていきます。
しかしです、まずは以下の画像をご覧ください。




もうお判りでしょうか。
かっこよすぎるんですよね。?さすがに横浜流星がかっこよすぎるんです。
そりゃ女の子みんな信じますでしょうと。吉岡里穂も一緒に住むんじゃうでしょと。
もしこれがずん飯尾さんとかだったらどうでしょうか。いやごめんなさい、飯尾さんは面白いし多分人間性高いので映画になれそうですね。
しかし、この顔がいいって、本当に人間の本質だと思うわけです。
顔や清潔感がよくなければ、信じる前に不信感が強くなります。
劇作家のオスカーワイルドは、以下のように語っています。
「第一印象は、最後の印象を決定づけるものである。」
全くこの通りなのかもしれませんね。
それをこの映画では、隠された人間の真実として暗示しているのではないでしょうか。ひねくれすぎですが。。(笑)
ちなみになる話
ちなみに、同性の場合はこれが該当しないとも考えてます。面白いですよね。
実際に以下の論文では、同性友人間での外見の影響を調査しています。
これによると、同性友人に対しても外見的魅力が一定の影響を持つことが示唆されつつ、会計を継続するうえではそこまで注力されないそうです。
実際に、かずや(鏑木が工場であった唯一の通人)は顔もしっかり見たことがなかったですからね。
このことで、映画スタッフ側は世の中顔じゃないとも暗示していたのかもしれません。
終わりに
いかがだったでしょうか。私の考えすぎではあり、制作側も世の中顔じゃないぞ!と訴えるような描写もありましたので、一概にはこれが正しいとは言えません。
正しい正しくないでなく、率直にそう感じてしまった私が一番かっこよくないのかもしれません。
とにかく、私は容姿にはきおつけて生きたい。あわよくば横浜流星になりたい。
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